| ●山田登志美の人と語り
登志美さんは昭和2年(1927年)に福島県耶麻群塩川町能力の農家に長女として生まれ、20歳で隣接する集落の同町四奈川字西鎧召の山田家に嫁いだ。主人は農業のかたわら町の重要な役職にもたずさわっていただけに多忙で、登志美さんは3人の子供を育てながら、田畑にも繁く足を運んだ。その間、義父母を見送っただけでなく、45歳で主人に先立たれる不幸に見舞われ、さらにその後には自宅が全焼する災難にもあうなど、人生の実にさまざまな不幸を体験した。
その苦労が実り、これまで町の社会福祉協議会理事や厚生保護協議会会長など、さまざまな役職を歴任し、現在は長男夫婦が経営する大規模な農業を手伝いながら、耶麻母子寡婦福祉協議会会長の重責も担っている。
その一方で、会津を代表する「語り部」としての名声は県内外に響き渡り、各地の小中学校や公民館などの公共機関、企業などのほか、近年は県外からの招待も多く、その活躍はめざましい。
登志美さんは、昔話や伝説を小学校入学前に祖母と母から聞いた。祖母は婿養子をとり、母も同じ塩川町能力生まれだけに、その話は、古くからこの地に連綿と伝えられてきたものが根幹になっている。それに今では語る人も少なくなった「会津弁」を忠実に伝え、その語りは生きた文化財として、民俗学的にも高い評価を得ている。
登志美さんは役者ではない。したがってその語りも演技ではない。古い時代からの昔話や伝説、民謡などの口頭伝承をよく伝えていたのは、明治30年代が最後で、今では伝承者を捜し出すことさえ困難になった。このような現状の中で、登志美さんはかつて生活の中で語られていた姿をそのままに伝える、希有な存在である。苦労など微塵も感じさせない穏やかな人柄だけに、語り口は無理なく自然で、言い尽くせぬほどの優しさを秘めている。まさに母のぬくもりそのものといってよい。
登志美さんはこれまで地元の婦人部の方々の協力も得て、2冊の昔話集を公刊している。さらに福島県の至宝といってよいその語りを直接聞くことのできるCDを公にされたことは、何よりの喜びであり、心から意を表したい。
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